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Hello Everyone! Trish and I are currently in the USA for one year. However services are continuing with the help of members from Grace Chapel. Please come and enjoy the preaching of the Word of God, worship and prayer.
みなさん、こんにちは! 私たちは1年間アメリカにいます。毎週日曜日に礼拝が行われます。
皆さんに祝福がありますように!
2018年4月7日ー午後12時から Open! 午後13時から Start! 命のパンチャーチで中山・つぐる様はGospel Easter Concert をします!皆さんのためにWonderful です!ぜひじかんをつくって、こころをこめて、
楽しみに来てください!
+主の祈りパート3
【マタイ福音書 6:11-12】 6:11わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。6:12わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。
今日のメッセージは、主の祈りシリーズ第三回です。ここには二つのポイントがあります。それは神の備えと赦しです。
1. わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
私たちは神の備えを注意深く捉え、感謝しなければなりません。ザイールに遣わされた宣教師のヘレン・ローズベル師は次のように話しています。「私たちの伝道所で、ある母親が早産の赤ん坊を生み落としてすぐに死にました。この赤ん坊を生かすために私たちは即席の保育器を作ろうとしましたが、そこにあった湯たんぽは使い物にならないものでした。そこで、子供たちに、その赤ん坊と彼女の姉のために祈るように頼みました。ある少女が祈りました。『愛する神さま、今日、湯たんぽを送ってください。明日になれば赤ちゃんは死んでしまいますから、それでは遅すぎます。そして愛する主よ、赤ちゃんのお姉ちゃんのために人形をください。そうすれば彼女は淋しくありませんから。』その日の午後になってイギリスから大きな荷物が届きました。それを開けるとき、子供たちは熱心に見つめていました。そして大変驚いたことに、何枚かの服の下に湯たんぽが入っていたのです!お祈りをしてくれた少女は、すぐさま真剣に荷物の奥まで手を差し入れて、叫びました。『神さまが湯たんぽをくれたなら、人形だってくれたに違いないわ!』そして、彼女は正しかったのです!天の父は、この少女の心からの願いを前もってご存じでした。そして、この特定の品々をある女性グループが荷物に入れるように、五か月前に既に取り計られていたのです。」
私たちは、神の備えに満足しなかったことがあるでしょうか?もちろん、皆「はい」と答えるはずです。私たちは、食料に有り余るこの豊かな日本に住んでいるのですから!
ある父親が夕飯のために祈ったときのことです。アーメンと言った後に、彼は茶碗のご飯が玄米であることに気づきました。そして、そのことで彼は文句を言い始めたのです。彼の息子は父親を訝しげに見つめて言いました。「お父さん、何故文句を言っているの?たった今、神さまに食べ物のことを感謝したばかりじゃないですか。」
神さまは私たちの必要をご存じです。
【マタイ福音書 6:31】 6:31だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 6:32これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
今朝、あなたには何か心配事がありますか?心配というのは、現代社会において大きな問題なのです。メイヨー・クリニック(米国の有名な総合病院)は、ケース全体の統計の80%から85%は、実際的なものであれ、想像的なものであれ精神的なストレスが病気の原因だと言っています。
日ごとの食べ物のための祈りは、私たちの神に対する依存を表し、私たちを謙虚に保つものです。
【第一テモテ6:17】6:17この世で富んでいる者たちに、命じなさい。高慢にならず、たよりにならない富に望みをおかず、むしろ、わたしたちにすべての物を豊かに備えて楽しませて下さる神に、のぞみをおくように、
イギリスのピューリタン聖職者トーマス・マントンは言いました。「食べ物の一口ごとに、これは神からの私への贈り物だ、と言うべきであり、毎晩の眠りに対し、これは神の優しさだ、と言うべきです。」
神はご自分の民に備えを与えたいと願っておられます。次に挙げるのは、神が人間に対して備えてくださった例のほんの一部です。
荒野において神はイスラエルの民にマナと鶉を備え(出エジプト16)、水を備えられた(出エジプト17)。彼らの服は綻びなかった(申命記8)。エリヤは烏に養われた(第一列王記17)。イエスは5つのパンと2匹の魚で5000人に食べ物を与えられた(ヨハネ福音書6)。
そして、究極のパンはキリストご自身です。
【ヨハネ福音書6:51】 6:51わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。
2. わたしたちの負債をもおゆるしください - 私たちには霊的な赦しが必要です。
この祈りの中で、私たちの実際的な必要に対する神の備えを思い起こすだけではなく、更に大事なこと、霊的な必要に対する神の備えも思い起こすのです。
私たちの一番必要なものが情報であったなら、神は専門家を送ってくださったでしょう。私たちの一番の必要が技術であったなら、神は科学者を送ってくださったでしょう。しかし、私たちの一番の必要は赦しであったので、神は救い主を送ってくださったのです。
私たちの人生の中で一番必要なのは赦しです。何故なら、人生の最大の問題は罪だからです。
【第一ヨハネ1:9】1:9もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。
3. わたしたちに負債のある者をゆるしましたように - 私たちには他の人を赦す必要があります。
神の赦しを求めることが重要であるのと同じように、私たちは他の人に対して赦しを差し出す必要もあるのです。イエスは、この祈りを弟子たちに教えられた直後、次のようにはっきり言われました。
【マタイ福音書6:14】6:14もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。 6:15もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。
赦さないなら、その代償は何でしょうか。
それは、神との関係に影響を及ぼします。
【第一ヨハネ4:20】 4:20「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。
それは、お互いの関係に影響を及ぼします。
【 へブル人への手紙12:15 】12:15気をつけて、神の恵みからもれることがないように、また、苦い根がはえ出て、あなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚されることのないようにしなさい。
それは、私たちの感情と肉体に影響を及ぼします。赦さないことは罪です。そして人生の中の罪は常にある結果を生んでしまうのです。赦さない心は、あらゆる種類の感情的な問題と肉体的な問題に繋がっていきます。
【詩編32:1】32:1そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。32:2主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。32:3わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた。32:4あなたのみ手が昼も夜も、わたしの上に重かったからである。わたしの力は、夏のひでりによってかれるように、かれ果てた。〔セラ
クリスチャンとして、私たちは人生の全ての必要に対する備えを求めて、日々、謙虚に神のところに来なくてはなりません。そして、私たちと神の関係、私たちと人の関係を確かに健全なものにしなければなりません!
主の祈りパート2
【マタイ福音書6:10】6:10御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
この聖句は二つのことを語っています。神の御国と、御心のことです。この二つは関連し合っていますが、それぞれ違う特徴があります。
ジェームス・アーウィンは月面を歩いた数少ない者たちの一人ですが、月の表面に立って地球を眺めたとき生涯で初めて祈りました。彼は国々の紛争を思い、貧困、飢え、蔓延する不正を思い、そしてひそかに考えました。「人類が月の上を歩くことより大切なのは、神が地上を歩かれたということだ。」
1. 御国がきますように。
聖書の中の「御国」には、ギリシャ語の「basiliea」という言葉が使われています。ストロング・コンコーダンス(聖書語句辞典)によると、「basiliea」は「王権、王政、主権、統治」を意味し、実際の王国という言葉とは区別されていて、むしろ王国を支配する権利や権威を意味します。そして、「御国」の二つ目の意味は、支配や統治が行使されている領土や領域のことです。
ですから、御国というのは、神の力の行使と主権の行使に言及されたものなのです。それ故に、御国とは神が支配し統治している場所のことです。
イエスは、自分の生活を神が支配してくださるように祈るべきだと私たちに教えられました。
私たちが「御国が来ますように」と言うとき、神がこの世を支配するだけでなく、私たちの生活をも支配してくださるよう求めているのです。
ですから、私たちの人生において神を主とする気がないなら、この言葉を正直に祈っていることにはなりません。
あなたは本当に御国を望んでいますか?
御国のことを語るとき、私たちは王のことを考えなければなりません。神は主として、また王としてあなたの世界に入って来られるのです。
私たちは、自分の人生の主となってくださるよう神に求めなければなりません。私の仕事場に来てください。私の結婚の中に来てください。私の家族の主となってください。私の心の羊飼い(指導者)になってください。あなたは神に、自分の生活の全てを占領してくれるように求めていることになるのです。その準備は出来ていますか?
悔い改めの必要(神の国が近づいたからです)を説くことで、イエスは御国の重要性を示されました。
【マルコ福音書1:15】15「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。
では、御国とは何でしょうか?
イエスは、パリサイ人から御国がいつ来るのか質問され、次のように答えました。【ルカ福音書17:20-21 】17:20神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。17:21また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。
イエスは、自分が御国を具現化しているものだと言われたのです。そして、ご自身の犠牲を通して、その死と蘇りを通して、主を信じる者の人生の中のサタンの支配と王国を打ち破られます。
「御国」ということを通して私たちが学ぶのは、御国は既に来ただけではなく、今ここにあり、そしてまた再び来るのだということです。
つまり、御国はイエスがおられるところにあるのです。
御国は、また今このとき私たちと共にあります。イエスは言われました。【マタイ福音書18:20】18:20ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。
イエスは、今私たちの只中におられるのですから、御国もここにあるのです。
そして、御国は再び来ます!イエスが終わりの時に戻られ、1000年間の神の御国(キリストの千年王国)を建てられるときに。
イエスは私たちが御国に住むことを望んでおられます。
【マタイ福音書 6:33 】6:33まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
御国を求めることはイエスを求めることであり、主を私たちの第一とするということなのです。
2. みこころが(天に行われるとおり、地にも)行われますように。
昔々あるところで、ある男が狩りに行きました。彼は熊を獲る狩人でした。彼は山に登り、熊に遭遇しました。熊は男を追いかけ、そこから逃げることは不可能でした。そこで、今までとりわけ信心深くはなかったこの男は祈りました。「神よ、この熊をクリスチャンにしてくださるなら、あなたの御心がなさることは何でも受け入れます。」男から3フィート足らずのところで熊は立ち止まり天を見上げました。そして、ひざまずいて大声で祈りました。「主よ、この美味しい食べ物のために感謝します。アーメン。」
たとえ自分が望まないところに行くとしても、私たちは主が導いてくださるよう求めます。何故なら、主の道はより良いものであることを知っているからです。【イザヤ書55:8-9 】55:8わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。55:9天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。
ゲッセマネのイエスは私たちのお手本でした。 【マタイ福音書26:39】26:39そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。
天において、天使たちは神の命令(み言葉の声)を行う用意をして待っています。【詩編103:20】103:20主の使たちよ、そのみ言葉の声を聞いて、これを行う勇士たちよ、主をほめまつれ。
宇宙において、星と惑星は神の御心のままに動きます。星は、博士たちにイエスのおられるところを指し示しました。【 マタイ福音書2:9】 2:9彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
被造物においても、動物たちが主に従うのを私たちは知っています。民数記22章でロバはバラムに口をききました。ヨナ書1章17節では鯨がヨナを飲み込みました。列王記上17章ではカラスがエリヤに食べ物を運びました。紅海は割れ、岩は水を吹き出し、波はイエスに従いました。
あらゆるものは神に従うのです。人間以外は。
従うことが、私たちの祈りの土台でなければなりません。私たちが祈るとき、神が自分の人生を通して働いてくださるよう求めているのです - 神の目的にかなうために、神ご自身のやり方でご自身の時に働いてくださるように。私たちに神の計画を合わせてくださるように求めるのではありません。神の計画に私たちを合わせてくださるよう求めるのです。
ある男が灯台守になりました。灯台の灯を灯し続けるために、 彼は一月に一度新しい油を受け取りました。そして、海岸沿いの彼の所には沢山の訪問者がありました。家族を暖かく暮らさせるために油が必要な村の女。ランプ用に油を分けてもらいに来た農夫。車輪の潤滑油が少し欲しい男。彼らの要求は正当なものに思えたので、灯台守はその要望に応えようと努めたのです。一月も経たないうちに、彼の油は切れ、灯は消えました。その結果、幾つかの船が衝突し命が失われました。警察が調査したとき、この男はとても後悔していました。彼の申し開きを聞いた後、警察は言いました。「あなたに油が与えられていたのは、ただ一つの目的の為だけです。灯りを灯し続けることです!」
私たちの人生の優先順位は、神の御心に土台を置くべきなのです。それ以外にはありません!
あなたの人生で一番大事なのは何ですか?神の御心ですか?それとも自分自身ですか?この祈り(御心が行われますように)には、重要な一つの目的があります。神の御心を願い求めること、です。そして御心にあって私たちが祈るとき、主は私たちに耳を傾け答えようと約束しておられます。 【第一ヨハネ5:14-15 】5:14わたしたちが神に対していだいている確信は、こうである。すなわち、わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さるということである。 5:15そして、わたしたちが願い求めることは、なんでも聞きいれて下さるとわかれば、神に願い求めたことはすでにかなえられたことを、知るのである
もし神の御心があなたの最優先事項になるなら、あなたの人生はどんなに変わることでしょうか?
主の祈りパート1
【マタイ福音書6:9】6:9だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
ある日、トムとジョーは一諸に歩いていました。トムは、相棒であるジョーを挑発して言いました。「君がそんなに信心深いなら、主の祈りを引用してみてくれよ。君が引用出来ないほうに僕は10ドル賭けるよ。」ジョーは答えて言いました。「主よ、私は今眠ります。私の魂を主の御手に委ねます。目覚める前に、もし私の命が終わるなら、主よ、私の魂をお委ねします。(訳者注:これは、子供が眠りにつく前に祈る「子供の祈り」として有名です)トムは財布を引っ張り出して10ドル札を抜き取り、がっかりしてボソボソと言いました。「君にそれが出来るとは思わなかったよ。」
今日は「主の祈り」として知られている祈りの最初の部分を見てみたいと思います。皆さんは、この祈りをよくご存じでしょう。ある教会では、集まるときにはいつでもこの祈りを祈りますし、聖歌の本の中にもこれが書かれています。学びを始める前に、私自身の視点から幾つかお話ししたいと思います。
これは、「だから、あなたがたはこう祈りなさい 」という言葉で始まっています。イエスは、「これを祈るべきである」と言われたのではないことに注意してください。イエスは、むしろ「このように」と言われたのです。主の祈りは、私たちがどのように祈るか、というお手本なのです。それは何度も何度も繰り返して口に出せばよい、というような魔法の言葉ではありません。もしそうなら、原本に書かれていたギリシャ語でこの祈りの言葉を言うべきではありませんか?或いは、イエスが多分使っておられたアラム語で祈りの言葉を言うべきではないでしょうか?
イエスさまは、次のように言われました。【マタイ福音書6:7】 6:7また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。
この聖句にあるように、私はキリストが「主の祈り」で示しておられるのは祈り方だと信じています。私が信じることを皆さんが信じなくても、もちろん構いません。皆さんが何も祈らないよりも、何であれ祈ってくださるほうが良いからです。しかし、皆さんが主の祈りを一語一語その通りに祈ろうと思うなら、心から祈ってください。そして、その言葉を意図しながら祈ってください。自分が言っていることを考えながら祈り、理解しながら祈ってください。
1. Our Father (天にいます)われらの父よ (訳者注:英語においては“Our Father in heavenわれらの父よ、天にいます”となります)
これは私たちと神の関係を表しています。神は父であり、私たちは神の子供たちです。私たちは家族ですから、他の者にはない権利と特権を持っています。例えば、私は自由に安倍首相に会いに行くことは出来ません。警備の警官に止められるからです。しかし、父である神のところには、私たちは自由に行くことが出来るのです。
新約聖書には、壁、或いは幕が裂けたことが、少なくとも二回記述されています。
一つ目は、キリストが十字架で死なれ幕が裂けたときです。
【マタイ福音書27:50-51】 27:50イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。 27:51すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。また地震があり、岩が裂け、
これは、大祭司だけに限定されていた神に近づくという行為が、今、全ての者に許されたことを示すものです。
【へブル人への手紙 9:7-8 】9:7幕屋の奥には大祭司が年に一度だけはいるのであり、しかも自分自身と民とのあやまちのためにささげる血をたずさえないで行くことはない。 9:8それによって聖霊は、前方の幕屋が存在している限り、聖所にはいる道はまだ開かれていないことを、明らかに示している。
【へブル人への手紙10:19-22】10:19兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、 10:20彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、 10:21さらに、神の家を治める大いなる祭司があるのだから、 10:22心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。
二つ目は、異邦人とユダヤ人の隔たりの壁が取り除かれたときです。
【エペソ人への手紙2:11-18 】2:11だから、記憶しておきなさい。あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、 2:12またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。 2:13ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。 2:14キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、 2:15数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、 2:16十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。 2:17それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。 2:18というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。
2. In Heaven天にいます(われらの父よ)
これは二つのことを定めています。神のおられる場所と、私たちが行きたいと願う場所です。
〇神のおられる場所
【詩編11:4】11:4主はその聖なる宮にいまし、主のみくらは天にあり、その目は人の子らをみそなわし、そのまぶたは人の子らを調べられる。
〇私たちが行きたいと願う場所
【ヨハネ福音書14:2-3】14:2わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。 14:3そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
3. Hallowed be your name 御名があがめられますように
この英語のHallowedというのは、神聖なるという意味で、言い換えると、清められる、聖別される、あがめる、聖なる、浄化するということで、ギリシャ語のHagiazoにあたります。そして、このように祈るとき、この時点で私たちの祈りは礼拝の行為になります。
ある男の妻がイギリスの コロンビア大学のピアノ専攻学生であったときのことです。彼らはまだ結婚したばかりで、ある日ピアノを買いに出かけました。売り場の女店員は、迷わず彼らを初心者用の売り場に連れて行きました。「彼女はまさに正しく私たちを判断したのですよ。」と夫は言いました。「私たちは二枚の5セント銅貨も持っていなかったのです。そこにある一番安い楽器を手に入れるためにお金を借りに行かなくてはならなかったのですから。」しかし、全てが変わりました。この買い手の指導者である教授 ― 世界的な名声を持つ教授が会話に加わったからです。女店員は恐慌を来しました。「こういうピアノじゃありませんよ!」彼女は大声で叫び、この二人を安物売り場からピカピカのスタインウェイの置いてあるプライベートショールームに連れて行きました。「申し訳ありません。」と女店員は繰り返し詫びを言いました。彼女が彼の学生の一人に粗悪な楽器を見せたことをこの高名な教師が知ったらと考え、怯えていたのです。そして、元のピアノ売り場に連れ戻してくれるようにどんなに頼んでも、彼らは彼女を説き伏せることは出来なかったのです。一度、最高位の者が来たなら、最高のものだけが供されるのです。
古代のユダヤの聖書記者たちが「神の名」を聖書に記した後には、その筆を折って捨てました。何故なら、それは聖なる言葉なので、その筆で他のいかなる言葉も書くことが出来なかったからです。そして、一度神の名を書いたなら、その言葉を消すことも出来ませんでした。神の名前が書かれたページを捨てることは出来ず、儀式的な方法で焼かれるか埋めるかする必要があったのです。(神の名はそれほど神聖なものでありました。)
テトラグラマトン・ヤハウェー(4文字のシンボルyhwhヤハウェ ― 神の名)という言葉をユダヤ人が口にすることはなく、むしろ彼らはハシェム「御名」と言います。マソラ本文(ユダヤ教のヘブライ語聖書のテキスト)の中では、母音を示すための記号は、二つの言葉、Adonai(主)Elohim(神)に調和しています。
そして、現代であってもユダヤ人は英語で神GodをG-dと書きます。
【出エジプト記 20:7 】20:7あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。
あなたは、あなたの神、主の名を軽々しく掲げてはならないのです。
ヤコブは、例を挙げています。【ヤコブ5:12 】5:12さて、わたしの兄弟たちよ。何はともあれ、誓いをしてはならない。天をさしても、地をさしても、あるいは、そのほかのどんな誓いによっても、いっさい誓ってはならない。むしろ、「しかり」を「しかり」とし、「否」を「否」としなさい。そうしないと、あなたがたは、さばきを受けることになる.
神の名とは神の性質なのです。私たちが神の名を使うとき、それは神の性質と一致していなければなりません。神の名がかかわるとき、私たちがしているのは聖なることですか?愛すべきことですか?優しいことですか?正しいことですか?
シメオン・ベン・シェタフについての話があります。彼はイエスより100年ほど前に生きていたユダヤ人の賢者です。彼の弟子たちは、この貧しい教師のためにアラブの金持ちの商人からロバを買いました。それは、彼らの指導者の日々の重荷を減らすためでした。彼らがロバのたてがみを梳かしたとき、その高価な積み荷の一つから宝石が転がり落ちてきました。弟子たちは、教師の新しい財産に大喜びしました。しかし、シェタフはそれを受け取ることを拒み、弟子たちにアラブ人を探して宝石を返すように命じました。弟子たちが商人を見つけたとき、彼は貴重品を取り戻したことにひどく驚いて、宣言しました。「シメオン・ベン・シェタフに神の祝福あれ!」と。
イエスは言われました。【マタイ福音書5:16 】5:16そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
ですから、私たちが主の祈りを祈るなら、また祈るとき次の3つの点を意識してください。
1. 神と私たちの関係:神は私たちの父であり、私たちは神の子供たちであること。
2. 神のおられる場所と、私たちが行きたい場所のこと。
3. 祈るときも、何かをするときも、私たちは神に誉を帰しているか、ということ。
THE POWER OF JESUS’ BLOOD イエスの血の力
今日の聖書箇所: マタイによる福音書 26:27-28
26:27また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。 26:28これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。
Intro: イエスは、最後の晩餐の席に弟子たちを集めました。弟子たちがイエスの周りに集まったとき、イエスは杯を取り上げ、ご自身の血は新しい契約であり、そしてその血は十分なものであると説明されました。4000年間、山羊や雄牛の血は律法を果たすという要求を満たすことがなかった一方、イエスの血はそれだけで十分なものです。「私は律法を廃するためではなく、成就するために来た」と言われたとき、イエスはこのことを話しておられたのです。
【マタイによる福音書】5:17わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
主の一つの無償の愛の行為が、他の犠牲の血が出来なかったことをなし、創造の神と共に新しい契約が成立することになりました。今日は、イエスの血がどのような力を持つのか見ていきましょう。
I.イエスの血には償う力がある
【ガラテヤ人への手紙】3:13キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。
A. 律法は厳格なものでした;人間にとってそれは殆ど呪いのようなものだったのです。すべての律法を守るのに十分に清く、善であり、汚れなく、聖なる者は誰一人いないのです。
B.律法は、人を縛り付けるものであり、人間のすべての欠陥を現すものでした。
C.しかし、キリストの血は、罪と死の呪いから私たちを解放しました。
【ローマ人への手紙】 8:15あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。
D. 律法は完了するということがありませんでした。
–今日は子羊、明日は鳩、来週は山羊、その次は雄牛。
– それは、民の罪を繰り返し覆い続けなくてはならないもので、決して終了することはなかったのです。
–祭司は、イスラエルの民の罪の償いゆえに契約の箱の純金の蓋に血を注ぐため、毎年一度、至聖所に入らなければなりませんでした。
【ペテロの第一の手紙】1:18あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、 1:19きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。
–しかし、キリストの血ゆえに、人が神の臨在から切り離されることはもうないのです。
【へブル人への手紙】10:16「わたしが、それらの日の後、彼らに対して立てようとする契約はこれであると、主が言われる。わたしの律法を彼らの心に与え、彼らの思いのうちに書きつけよう」と言い、 10:17さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べている。 10:18これらのことに対するゆるしがある以上、罪のためのささげ物は、もはやあり得ない。10:19兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、
II.キリストの血には変える力がある。
A.イエスが願っておられる形に私たちを変えるのは、彼の血なのです。
【へブル人への手紙】9:14永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。
B.殺人者であるサウロは生きる神の教会を破壊しようとしましたが、血の力に出会い、永遠に「キリストの使徒パウロ」に変えられました。
【コリント人への第一の手紙】15:9実際わたしは、神の教会を迫害したのであるから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者である。
C.十字架上の盗人はイエスの血の力に出会い、犯罪人からパラダイスに住む聖徒に変えられました。
【コリント人への第二の手紙】5:17だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
D.イエスの血の力は、どのような魂であろうと、罪の性質から離れ神の神聖への願いを持つに至る者に変えることが出来るのです。
【イザヤ書】1:18主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。
III.イエスの血には命を与える力がある。
A. 血は命の源です;血管を通して流れる血なしでは、この身体の中で命は終わってしまいます。
B.私たちは、血なしでは生きることは出来ません。
C.私たちの霊と魂にキリストの血が適用されないなら、私たちは確実に二度目の死に行ってしまうのです。
【 へブル人への手紙】9:22こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、血によってきよめられたのである。血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。
【ヨハネの第一の手紙】1:7しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
【黙示録】21:8しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。
D. 豊かな命は、キリストの血の力の中にだけ見出すことが出来ます。
【ヨハネの福音書】10:10盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。
ILL..パリに住んでいたユダヤ人の医師、フェリックス・ルスは、ジフテリアで死んだ孫娘を見て、彼女の命を奪ったこの病の治療法を見つけることを誓いました。彼が、バクテリアに培養した細菌を20匹の馬の鼻孔と舌と喉に塗るのを見るように近隣の科学者たちを彼の牧場に招待したとき、細菌と戦うという考えは、ただの理論でしかありませんでした。馬は一匹、また一匹と死んでいき、最後の一匹だけになりました。科学者たちは皆、諦めて帰ってしまいました。しかしルス医師と彼の助手は残り、その助手は一晩中馬を見守っていました。馬の熱が下がり始めたとき、彼は医師を起こしました。医師は馬が細菌を撃墜し、次の日には何事もなかったように立って餌を食べるのを見たのです。それから、彼は馬を殺し、ジフテリアに打ち勝ったこの馬からその血を抜き取りました。そして市の病院に急ぎました。彼は強引に管理者と守衛たちの中を通り、ジフテリアで隔離された300人の赤ん坊がいる病棟に入っていきました。彼らは、赤ん坊全員に強制的に馬の血を接種させたのです。 三人を除いて全員が完全に回復しました。彼らは、打ち勝ったものの血によって救われたのです。
IV.イエスの血には自由を得させる力がある。
A. 罪に縛られたくびきを砕くのは、イエスの血の力です。
B.イエスは私たちを赦してくださるだけで、サタンの縛りの中に私たちをそのままに放っておかれるのではありません。私たちはキリストの血の力により、罪から自由になる経験をするのです。
【ガラテヤ人への手紙】5:1自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。
C.サタンがどのようにあなたの人生を包囲し、ダメにさせられそうであろうと:キリストの血はそれを打ち破り、あなたを解放することが出来るのです。
D.それは、ただ自由を得させるだけではなく、打ち勝たせてくれるのです。
【コロサイ人への手紙】1:13神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。 1:14わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。
【黙示録】12:11兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。
DO YOU ACT LIKE YOU BELIEVE あなたは信じているように行動しているでしょうか?
INTRO:もし、クリスチャンであるが故に警察に逮捕されたとしたら、彼らはあなたを有罪とする十分な証拠を挙げることが出来るでしょうか?
1. あなたは聖書を信じていますか?もし、そうであるなら、あなたはどのように振る舞うべきでしょうか?
a. [Heb 4:12 NIV] 【へブル4:12口語訳】4:12というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。
b. 剣(つるぎ)とは何でしょうか?そして、人は剣(つるぎ)で何をするのでしょうか?
i. 剣とは戦いの武器です。聖書は武器ですから、あなたはそれを注意深く扱わなければなりません。
[2Co 10:3-5 NIV] 【第二コリント10:3-5】 10:3わたしたちは、肉にあって歩いてはいるが、肉に従って戦っているのではない。 10:4わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、 10:5神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ、
ii. 3節には、私たちは肉に従って(世がしているように)戦っているのではない、と書いてあります。これは本当です。世(肉)が戦うとき、そこには憎しみ、欲望、貪欲があり、クリスチャンが戦うとき、そこには愛、恵み、自由があるからです。クリスチャンは神の愛を既に受けており、神に他の人々を愛するように言われています:
[Jhn 13:34-35 NIV] 【ヨハネ13:34-35】 13:34わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。 13:35互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」。
2. あなたは聖書を信じていますか? そうであるなら、あなたは聖書を学ぶべきです!聖書を所有しながらそれを学ばないのなら、まるで車を所有しながら運転の仕方を知らないようなものです。
a. [2Ti 2:15 NIV] 【第二テモテ2:15】 2:15あなたは真理の言葉を正しく教え、恥じるところのない錬達した働き人になって、神に自分をささげるように努めはげみなさい。
i. ここでは、聖書を学ぶべきということだけでなく、何故聖書を学ぶべきかが述べられています。真理の言葉を正しく教える(扱う)、とあります。剣を使ってパンを切ることは出来ますが、パンナイフの方がそれに適しています。しかし、神の言葉は、たとえ使い方を間違えても、人生を変えるほど力があるのです。中国に住むある人が、壁の穴を塞ぐために聖書のページを使っていました。そして、彼は、そのために聖書を読み始め、救われることになりました。これは良い話です。しかし、聖書を正しく使うことが一番良いのです。
3. Do you believe the Bible? あなたは聖書を信じていますか?聖書は預言的な本で、将来に何が起こるかが記されています。
a. もし聖書を信じるなら、聖書がこの先に起こると伝えている次の歴史的な出来事に対して、あなたは備えをするでしょう。
b. 新聞には、台風10号が関東に上陸すると書いてあります。これは既に予報されていますから、人々はその備えをするのです。人々は雨戸シャッターを閉め、車を車庫にいれます。
c. 聖書には、まもなく何が起こると書いてあるでしょうか?それは、教会の携挙です。
i. [Luk 21:7, 9, 28, 31 KJV]【ルカ21:7、9.28、31】21:7そこで彼らはたずねた、「先生、では、いつそんなことが起るのでしょうか。またそんなことが起るような場合には、どんな前兆がありますか」。
21:9戦争と騒乱とのうわさを聞くときにも、おじ恐れるな。こうしたことはまず起らねばならないが、終りはすぐにはこない」。
21:28これらの事が起りはじめたら、身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから」。
21:31このようにあなたがたも、これらの事が起るのを見たなら、神の国が近いのだとさとりなさ.
d. 干ばつに苦しんでいた農夫たちの話があります。彼らは教会に行って雨の為に祈ろうと決めました。その中の一人だけが傘を持って教会に出かけました。この行動は、彼が信じているということを示していたのです。
4. 何故、私は正装をするのでしょうか?何故なら、私は聖書を信じているからです!
a. [Rev 19:7-9 NIV] 【黙示録19:7-9】19:7わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。19:8彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。19:9それから、御使はわたしに言った、「書きしるせ。小羊の婚宴に招かれた者は、さいわいである」。またわたしに言った、「これらは、神の真実の言葉である」。
b. 私は、イエス様の婚姻に参加したいのです!信仰によって、私はその用意をしなければなりません。[Mat 22:11-14 NIV] 11【マタイ22:11-14】 22:11王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服をつけていないひとりの人を見て、 22:12彼に言った、『友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここにはいってきたのですか』。しかし、彼は黙っていた。 22:13そこで、王はそばの者たちに言った、『この者の手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。 22:14招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」。
LET’S GO TO CHURCH! 教会に行きましょう!
Intro: 教会に来てくださってありがとうございます。あなたが来てくださって、私はとても嬉しいです!そして、ここで私はある質問を皆さんにしますが、「変なことを聞くなあ」と思う方がいるかもしれません。でも、私は皆さんにこれを聞く必要があるのです・・・あなたは何故、教会に来たのですか? 多くの人々は、様々の違う理由で教会に来ます。今日は、私たちが教会に来る理由の幾つかを見ていきたいと思います。
Text:【使徒行伝2:42そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。】
1. その理由1-神の言葉を聞いてそれを学ぶために教会に来ます。何故ですか?
a. 何故なら、神の言葉は絶対に間違いのないものだからです。【箴言30:5神の言葉はみな真実である、神は彼に寄り頼む者の盾である。30:6その言葉に付け加えてはならない、彼があなたを責め、あなたを偽り者とされないためだ。】
b. 何故なら、神の言葉は完全だからです。聖書は、何か他の新しい章も、新しい聖句も必要ありません。それは既に完成しているのです。しかし、多くのカルト宗教は、聖書に自分たち自身の書や解説書を付け加えています。【黙示録22:18この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。 22:19また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。】
c. 何故なら、神の言葉は、権威あるものだからです。【詩篇119:89主よ、あなたのみ言葉は天においてとこしえに堅く定まり、】
ただ御言葉のみが神の権威の源です。ですから、もし誰かが何か預言が与えられたと言ったなら、私たちはそれが御言葉と一致しているかどうか聖書を使って調べます。
d. 何故なら、神の言葉は、私たちの全ての必要に対して十分なものであるからです。私たちにそれ以上のものは必要ではありません。【第二テモテ3:16聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。 3:17それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである】
e. 何故なら、神の言葉は、自身が約束していることを成就するからです。もし神があなたにそれが起こる、と言われたなら、それは起こるのです。【イザヤ55:11このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。】
2. その理由2-他の信者たちと交わるために教会に来ます。何故ですか?
a. 何故なら、交わりは良いものだからです! 【詩篇133:1見よ、兄弟が和合して共におるのはいかに麗しく楽しいことであろう。】
b. 何故なら、交わりは神さまが注意を払われるものだからです。【マラキ3:16そのとき、主を恐れる者は互に語った。主は耳を傾けてこれを聞かれた。そして主を恐れる者、およびその名を心に留めている者のために、主の前に一つの覚え書がしるされた。 3:17「万軍の主は言われる、彼らはわたしが手を下して事を行う日に、わたしの者となり、わたしの宝となる。また人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。 3:18その時あなたがたは、再び義人と悪人、神に仕える者と、仕えない者との区別を知るようになる。】
c. 何故なら、交わりは私たちを良くするものだからです!【箴言27:17鉄は鉄をとぐ、そのように人はその友の顔をとぐ。】
3. その理由3-祈るために教会に来ます。何故ですか?
a. 祈りは、神と話すことだからです。【エレミヤ33:3わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。】
神は、私たちが神を呼び求めることを願っておられます。そうすれば神は私たちの祈りに応えることがお出来になるからです。
b. 祈りは、神の備えに対して感謝を言い表すことだからです。【歴代志上16:34主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。】
c. 祈りは、私たちが自分の罪を告白しその罪を悔い改めるものだからです。【詩篇32:5わたしは自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。わたしは言った、「わたしのとがを主に告白しよう」と。その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。〔セラ32:6このゆえに、すべて神を敬う者はあなたに祈る。大水の押し寄せる悩みの時にもその身に及ぶことはない。】
d. 祈りは、礼拝と従順の行為だからです。【第一テサロニケ5:16いつも喜んでいなさい。 5:17絶えず祈りなさい。 5:18すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。】
4. その理由4-聖餐式を持つために教会に来ます!
a. 洗礼と聖餐式は、教会の二つの儀式です。【第一コリント11:25食事ののち、杯をも同じようにして言われた、「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。11:26だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。】
DO YOU LISTEN WELL? よく耳を傾けて聞いていますか?
1. 地上の働きにあって、イエスさまは度々「 耳のある者は聞くがよい。」と叫び、その教えを締めくくられました。
a. 彼はバプテスマのヨハネについて(マタイ11:15)、種まきの譬について(マタイ13:9)、そして譬話の説明において(マタイ13:43)この言葉を言われました。
2.アジアの教会への幾つかの手紙の中で、イエスさまは同じような言葉でそれを締めくくっておられます:黙示録2:7、11、17、29;3:6、13、22(2:7)「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。」
3. 何故、イエスさまはこの言葉を言われたのでしょうか?
a.これは、「ここで言われているのは大変に重要なことである。あなたは注意をしてこれを聞かなければならない!」ということです。
【マタイ4:23-25】4:23聞く耳のある者は聞くがよい」。 4:24また彼らに言われた、「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。 4:25だれでも、持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」。
b.これは、今日でも度々起こっている問題をイエスさまがお持ちだったことを示すものです。多くの人々は耳を傾けないのです。或いは聞いても理解しないのです。
4.ですから、ここで質問です。「あなたはどの程度、耳を傾けているでしょうか?」
2.イエスさまは、イザヤ書を引用して、その時代の多くの者たちにそれを当てはめられたのです。【マタイ13:13-14】13:13だから、彼らには譬で語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。 13:14こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。
b.このような人には、次のようなことが成らなくなります。
1) 神の真理を理解する。
2) 罪から背を向け、神に帰る。
3) 神によって癒される!
-- 誰が、このように聞く人(鈍い人)になりたいと思うでしょうか?
B. 耳ざわりのよい話に耳を傾ける人々
1. パウロは、第二テモテ4:3節と4節でこれを説明しています【第二テモテ4:3-4】4:3人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、 4:4そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。
2. 悲しいことに、今日、多くの人々がこのような「耳の問題」にしばしば打ち負かされています! 彼らは、「あなたの生き方には問題はないし、変わる必要もない」ということを聞きたがるのです。
C.正しい良い心を持つ人々
1.イエスさまはこのような人々のことをルカ8章15節で語っておられます。【ルカ8:15】8:15良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである。
2.べレヤの人々はこのような人々でした。【使徒行伝17:10-11】17:10 そこで、兄弟たちはただしに、パウロとシラスとを夜の間にべレヤへ送り出した。ふたりはべレヤに到着すると、ユダヤ人の会堂に行った。17:11ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教を受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた
a.私たちは皆、このような者であるべきなのです!このように耳を傾ける者でいるのが、なぜ、それほど重要なのでしょうか?
II. 良く耳を傾けることの大切さ
A.祝福を受けるのに不可欠なもの
1.適切に聞くことを願う者たちは、素晴らしいことを学ぶのです。【マタイ13:16-17】13:16しかし、あなたがたの目は見ており、耳は聞いているから、さいわいである。 13:17あなたがたによく言っておく。多くの預言者や義人は、あなたがたの見ていることを見ようと熱心に願ったが、見ることができず、またあなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである。
2.もし私たちが注意して聞かないなら、これらの祝福を失うのです!
B.救いの信仰に不可欠なもの
1. 神は、私たちがキリストの信仰を通して救われると定めておられます。【ローマ1:16】 1:16わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。
2.このような信仰は福音の宣言を通して実現します。それは聞くことに関係しています。【ローマ10:17】10:17したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。
3. 信仰の欠如が起こるのは、ただ単に人々が良く耳を傾けないからです。あなたの聞き方は、あなたの信仰の成長を妨げているでしょうか?
C.実を結ぶのに不可欠なもの
1. 種まきの譬えの中で、実を結ぶことの出来る地(心)は、正しく聞くことが出来るものだけであるとあります。【ルカ8:15】8:15良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである。
2.何故なら、神の恵みを理解すること(知ること)で実を結ぶからです!【コロサイ人への手紙1:6】1:6そして、この福音は、世界中いたる所でそうであるように、あなたがたのところでも、これを聞いて神の恵みを知ったとき以来ただs、実を結んで成長しているのである。
3.良く聞くことによってのみ、神の恵みを理解することが出来るのです。そして、その結果、神の栄光にある実を結ぶようになるのです。
D.背信を防ぐ大切さ
1. 救いを軽んずることで、流されてしまう現実の危険があります。【へブル2:1】2:1こういうわけだから、わたしたちは聞かされていることをいっそう強く心に留めなければならない。そうでないと、おし流されてしまう。
2. 良く耳を傾けないことは、背教への最初の一歩になることが多いのです!良く理解してもらうために話し手は話すことを学ぶ必要があるように、人々は良く理解するために聞くことを学ぶ必要があります!
III.良く聞くためのステップ
A. 礼拝の行為として聞く
1. 読まれる御言葉や語られる御言葉をどのように聞くかは、あなたの神への献身を表しています。それはあなたがどのように祈るか、どのように歌うかにも表れます。
B.聖書を読み下す。
C..信仰によって聞く
1.【へブル4:2】4:2というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。
F.聞いて行う
1.私たちは、エゼキエルの時代の人々のようでしょうか?【エゼキエル33:30-32】33:30人の子よ、あなたの民の人々は、かきのかたわら、家の入口で、あなたの事を論じ、たがいに語りあって言う、『さあ、われわれは、どんな言葉が主から出るかを聞こう』と。 33:31彼らは民が来るようにあなたの所に来、わたしの民のようにあなたの前に座して、あなたの言葉を聞く。しかし彼らはそれを行わない。彼等は口先では多くの愛を現すが、その心は利におもむいている。 33:32見よ、あなたは彼らには、美しい声で愛の歌をうたう者のように、また楽器をよく奏する者のように思われる。彼らはあなたの言葉は聞くが、それを行おうとはしない。
a.彼らは喜んで聞きましたが、それは正しい理由からではありませんでした。
b.あなたは、語り手がうまく語るからという理由で、説教を聞きたいと思っているのでしょうか?
2.聞くことは、行いを伴うのです。【ヤコブ1:22】1:22そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。
CONCLUSION: 今、その憐みは神の子イエスキリストを通して差し出されています。神はこう言われます:【ルカ9:35】9:35すると雲の中から声があった、「これはわたしの子、わたしの選んだ者である。これに聞け」。
The Transfiguration of Jesus: Pay attention! イエスの変容:注意を払ってください!
Text: マタイ17:1-13
1884年、ジョン・ヘンリー・パターソンはナショナル・キャッシュ・レジスター会社(NCR)を創り、世にその名を知らしめ利益を上げました。彼はこの会社を成功させたのです。何故なら、彼は細部に注意を怠らず、会社の一つ一つの部門に常に注意を払っていたからです。
ある時、工場が多くの夜盗の被害を受けていることが明らかになったことがありました。パターソンは、警備員が本来の仕事をしていないと確信しました。そこで、ある夜、彼は燐光で光る服を着て真っ白な馬に乗り、工場に出かけたのです。そして工具室へのドアをこじ開け、何の問題もなく幾つかの予備備品を取り、家に戻りました。次の日の朝、彼は警備員を首にしました。
何故、パターソンは警備員たちをすげ替えたのでしょうか?彼らは自分の仕事をしなかったからです。彼らは注意を払わなかったからです。
1. キリストは教会をご自身の御国と同一と見なし、弟子たちに「人の子が御国の力をもって来るのを見るまで死なない者が立っている者の中にいることを保証されました。【マタイ16:18-19、28】 16:18そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。 16:19わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。
16:28よく聞いておくがよい、人の子が御国の力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。
2. その一方で、主は弟子たちをエルサレムで起きるであろう空前の出来事に備えさせておられました。【マタイ16:21】16:21この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。
I. 神の本質の現れと確証。マタイ17:1-2
A. イエスは神の栄光の片鱗を彼らに示されました。マタイ17:2
1. 変容:御姿の変化
a. 御顔【マタイ17:2】 17:2ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。
b. 御衣【マタイ17:2】17:2. その衣は光のように白くなった
2. イエスは神の栄光の輝き、光なのです。【へブル1:3】1:3御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。
II.モーセとエリヤが現われ、イエスと語り合った。マタイ17:3
A. 彼らは主の死について語り合っていました。【ルカ9:31】 9:31栄光の中に現れて、イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していたのである。
B. ある種の人々やカルト宗教は、イエスの死は手違いだったのだと説明しようとします。しかし、この箇所は、それが偶然の出来事ではなかったことを示しています。
III. イエスの権威は天の父によって承認された。マタイ17:4-9
A. ペテロの提案 【マタイ17:4】17:4ペテロはイエスにむかって言った、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
1. このペテロの提案は、うかつにも次の二つのことを引き起こします:それは十字架を回避してしまいます「ここにいましょう」、そして、モーセとエリヤをキリストと同等にしてしまいます「3つの小屋」
2. ペテロと同じように、私たちはしばしば神のやり方ではなく自分のやり方で物事を進めようとします。
ある少年が母親と薬屋に行きました。カウンターにはキャンデイの壺が置かれていて、店の主人は少年がそれに目を留めているのに気がつきました。母親が清算をしているとき、主人は少年に聞きました「少しキャンデイが欲しいかい?」少年がうなずいたので、彼は「じゃあ幾つか取っていいよ」と言いました。少年はそこに立ったままだったので、店の主人はもう一度「手にひとつかみあげるよ」と言ったのです。少年がそれでもまだ立ったままなので、主人は壺に手を伸ばし、キャンデイをつかみ取り彼に渡しました。少年のポケットはキャンデイでいっぱいになったのです。外に出てから母親は言いました。「あの男の人がひとつかみ取ってもいいと言ったのに、なんでそうしなかったの?」少年は言いました。「だって、あの人の手はもっと大きいし、神さまの計画はもっと大きいもの」
人生の中における私たちの選択:私たちは、自分の人生の中に神の計画を望んでいるでしょうか?それとも、自分の計画のほうを望んでいるでしょうか? もし私が選ぶのであれば、むしろ神さまの計画を選びます。神の手のほうが大きいからです!
B. モーセとエリヤは離れようとしていますが、イエスはお残りになりました。イエスは彼らより偉大な方でした。イエスは神の御子だったからです。【ルカ9:33】 9:33このふたりがイエスを離れ去ろうとしたとき、ペテロは自分が何を言っているのかわからないで、イエスに言った、「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。それで、わたしたちは小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
1. モーセ=律法であり、エリヤ=預言者です。しかしイエスは律法と預言を成就するために来られたのです。【マタイ5:17】5:17わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
C. 御子への神の承認 【マタイ17:5】17:5彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。
【第二ペテロ1:17-18】1:17イエスは父なる神からほまれと栄光とをお受けになったが、その時、おごそかな栄光の中から次のようなみ声がかかったのである、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。 1:18わたしたちもイエスと共に聖なる山にいて、天から出たこの声を聞いたのである。
Conclusion
1. イエスキリストの力と来臨は「巧みに作られた寓話」ではありません。 それは、主の威光と栄光を見た目撃者たちによって証明されてきたのです。【第二ペテロ1:16】1:16わたしたちの主イエス・キリストの力と来臨とを、あなたがたに知らせた時、わたしたちは、巧みな作り話を用いることはしなかった。わたしたちが、そのご威光の目撃者なのだからである。
Just a quick note about a couple of things: September 2nd, 2015
The true date on this blog should read September 2nd, 2015.Now I have succeded in getting rid of the old date but lost the previous blog....arrgh.... I haven't figured out how to add a new blog so I added to the old one which now doesn't exist.
I believe that all the links now work!
We had our first ever outreach to Tsukioka last week. September will emphasize prayer for all the work that has happened during the summer and for God's leading going forward. Last week's sermon dealt with the annointing of Christ for burial. The main points and questions asked were: Why did Mary have the Nard? Did she understand it's purpose before Christ's explanation? What we learned was that God has a plan for each of us and his plans always have a perfect place, a perfect timing, and perfect provision.
日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団
いのちのパンチャーチ
〒957-0053
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☎0254-23-0811
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